レンズの歴史を辿る

近年レンズはどんどん高性能化しています。例えば50mm F1.4 のような標準大口径レンズでは、今では絞り開放から周辺までシャープに描写できます。一方、オールドレンズやクラシックレンズを追い求めるマニアは昔からいて、昔のレンズの欠点を個性として捉えて、写真表現に活用します。

写真レンズはどんな歴史を辿ったのか、先人たちはレンズに何を求めてきたのか、オールレンズの魅力は本当はなんなのか、そういった純粋な好奇心からレンズの歴史を簡単に振り返って見たいと思います。

二つの角度

レンズの発展を二つの角度で捉えることができます。

  • 光学システム。理想の光学系として、被写体を歪みなく像に映す
  • カメラのパーツ。利用するシーンに応じて、光学系の変更や機能を追加する

光学システム

技術の発展は大体以下のようなプロセスを辿ります。

職人の試行錯誤→理論の構築→科学的アプローチで理想に近づける

光学システムとしてのレンズも同じです。1枚の凸レンズで結像できることは古くから知られていますが、色収差によって像がぼやけることもまた昔から知られています。

異なる波長の光の屈折率も異なるため、同じ点に結像できない

初期の写真レンズはこの問題に取り組み、色消しAchromatレンズが開発されました。

最初期のレンズ:アクロマート

アクロマートレンズ(Achromat)は、2枚の異なる種類のレンズ(通常は正の低分散クラウンガラスと負の高分散フリントガラス)を組み合わせ、色収差を補正するレンズです。

最初のカメラ、ダゲレオタイプに搭載されたレンズもまさにこのタイプのレンズです。最大絞りがF16で、ダゲレオタイプの感光性能の低さと相まって、十分な露出を得るには10分から数十分が必要でした。

アクロマートについて、wikipediaに詳しく書かれています。

試行錯誤したレンズ作り

1857年まで、レンズ職人と一部の数学者、物理光学者らによって、レンズが開発されました。アクロマートの改良を重なっていく時期でしたが、特筆すべきレンズがあります。それは1840年オーストリアのヨーゼフ・ペッツバールによって開発されたペッツバールレンズです。

アクロマートが暗いレンズで、長時間の露光によって、とりわけ肖像を撮るには不向きでした。

ペッツバールレンズ世界で初めて開発された高速レンズであり、肖像写真に革命をもたらしました。構成は4枚のガラス要素からなり、f/3.6の明るい絞り値を持っていました。従来のレンズよりも非常に明るく、当時としては高い解像度を提供しました。ペッツバールは数学者であり、このレンズの開発にも光学的計算が導入されていました。オーストリアのルイ大公の協力もあって、弾道計算に長けた砲兵将校らが計算チームとしてペッツバールの元に派遣されました。この計算によるアプローチも後のレンズ開発に受け継がれていきます。

ザイデル収差:理論の構築

理想の光学系を実現するにはどういった問題を解決しなければならないのか。すでに知られている色収差に加え、ザイデル収差がその答えとなります。

ザイデル収差はドイツの数学者、光学者であるルートヴィヒ・ザイデルが1857年に発表された理論です。光学系における5つの収差について論じています。

・球面収差
光学系において点を光源とする光線が光学系を通った後、焦点1点に収束せず前後にばらつく収差。詳細は「球面収差」を参照
・コマ収差
光軸外の1点を光源とする光が、像面において1点に集束しない収差。詳細は「コマ収差」を参照
・非点収差
光軸外の1点を光源とする光が、レンズに対して同心円方向と直径方向で焦点距離がずれる収差。詳細は「非点収差」を参照
・像面湾曲
レンズの前側と後側で、レンズに平行な焦点面が平面から平面に対応しない、という収差。詳細は「像面湾曲」を参照
・歪曲収差
正しい方眼の物体を光学系により投影した時、像が正しい方眼にならない収差。詳細は「歪曲収差」を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/ザイデル収差

ザイデルが定義した5つの収差は、レンズ設計における収差補正の指針となり、その後のレンズ開発において重要な役割を果たしました。具体的な影響は

  1. レンズ設計の理論的基盤の確立:
    • ザイデルの理論は、レンズ設計者が収差を計算し、設計に反映するための科学的な基礎を提供しました。これにより、複雑な収差を個別に理解し、特定の目的に応じて補正を行うことが可能になりました。
  2. 高性能レンズの開発:
    • ザイデルの理論に基づき、アナスチグマートレンズテッサー(Tessar)のような高度な収差補正を備えたレンズが開発されました。これにより、従来のレンズよりもシャープで均一な画像が得られるようになり、プロフェッショナルな写真撮影において画質が飛躍的に向上しました。
  3. 広角レンズやポートレートレンズの改良:
    • 特に広角レンズにおいて、ザイデルの収差理論に基づく設計は、広い視野角でも均一な画質を実現し、風景写真や建築写真に革命をもたらしました。また、ポートレートレンズにおいても、球面収差やコマ収差の補正により、被写体がシャープに描写されるようになり、プロフェッショナルな肖像写真のクオリティが向上しました。
  4. 写真技術の精密化:
    • 科学や産業の分野において、精密な写真が求められる場面でも、ザイデルの理論は重要でした。非点収差や歪曲収差の補正により、顕微鏡撮影や天体写真など、科学的な応用における写真の精度が向上しました。
  5. 光学技術の発展:
    • ザイデルの収差理論は、単に写真用レンズにとどまらず、顕微鏡や望遠鏡といった他の光学機器の設計にも大きな影響を与えました。収差補正の概念が広がることで、さまざまな光学機器の性能が飛躍的に向上し、科学の進歩に貢献しました。

以降、レンズ設計者たちはこの収差を克服する戦いに挑み続けます。

初の実用的な広角レンズ:Globe

Harrison & Schnitzer Globeレンズは、1860年代にアメリカで開発された革新的な写真用レンズであり、レンズ設計の歴史において重要な役割を果たしました。このレンズは、光学的収差を大幅に補正し、写真のシャープさと均一性を高めるために設計されました。当時のレンズ技術において、収差を抑えることは大きな課題であり、特に広角撮影においては画像の歪みや解像度の低下が問題でした。このレンズは、これらの問題を解決するための画期的な設計でした。

1862年にニューヨークのレンズ製造者であるC. C. HarrisonとJ. Schnitzerによって設計されたGlobeレンズは、当時としては非常に進んだ技術を採用していました。このレンズの大きな特徴は、その球状の対称設計です。この独特な設計により、光学的な収差を効果的に補正し、特に以下の点で優れた性能を発揮しました。

  1. 球面収差と色収差の補正:
    • Globeレンズは、従来のレンズ設計に比べて球面収差色収差が大幅に抑えられ、焦点がより均一に揃うように設計されています。これにより、画像全体がシャープでクリアな描写を実現しました。
  2. 広角撮影における優位性:
    • 広い視野角を持ちながらも、Globeレンズは像面湾曲の影響を最小限に抑え、画面の中心から周辺まで均一な解像度を保つことができました。これは特に風景や建築写真において重要な利点でした。
  3. 対称設計の採用:
    • このレンズの対称設計は、両端に対称的に配置されたレンズ要素によって、収差を相殺し合う構造を持っています。この設計により、レンズ全体で均一な光学性能を保ち、シャープさやコントラストを高めました。

Globeレンズの設計は、後に広く普及したアナスチグマートレンズダブルガウス型レンズといった現代的なレンズ設計にまで影響を与えています。対称設計による収差補正技術は、現代の多くの高性能レンズの基礎として活用されています。

アプラナート

球面収差像面湾曲を除くほとんどの光学的収差が補正された。アプラナート(Aplanat)レンズは、ドイツの光学技術者であるエミール・ブッシュ(Emil Busch)が1866年に発明したレンズです。「アプラナート」とは、ギリシャ語の「平坦」を意味します。同時期にイギリスのダルメイヤー(Dallmeyer)社がRapid Rectilinearを発売しています。構造的にアプラナートと同じで、同時発明と言っていいでしょう。

アプラナートレンズは、アクロマートの改良版とも言えます。色収差を補正した上さらに歪曲収差やコマ収差も高度に補正しています。2枚の対称なレンズ要素を組み合わせた設計が特徴です。この対称性により、収差を効果的に抑制し、広い視野角を持ちながらも、画面全体で均一な解像度を実現しました。この設計思想は後にダブルガウス型レンズの基礎ともなり、現代のレンズ設計にも大きな影響を与えました。

Emil Busch Aplanat Lens
Voigtländer Euryscope

アナスチグマート

アナスチグマートレンズ(Anastigmat)は、非点収差の補正に特化したレンズ設計で、19世紀末に開発されました。アナスチグマートという名前は、「非点収差のない」という意味を持ち、レンズ全体で光が正しく焦点に集まることを指します。この技術革新により、写真全体のシャープネスと解像度が大幅に向上し、特に広い視野を必要とする写真分野で大きな成果を上げました。

アナスチグマートレンズの技術的特性として、

  1. 非点収差の補正:
    • 非点収差は、レンズにおける光の焦点が方向によって異なる位置に結ばれる現象で、これが生じると被写体の像がぼやけたり、伸びたりします。アナスチグマートレンズは、この収差を効果的に補正することで、画面全体のシャープネスを保ちながら、焦点が均一に揃うように設計されています。
  2. 球面収差とコマ収差の補正:
    • アナスチグマートレンズは、非点収差だけでなく、球面収差コマ収差の補正にも優れています。球面収差は、レンズの中央と周辺で光が異なる場所に集まる現象であり、これを抑えることで、より鮮明で正確な画像を得ることができます。コマ収差は、光点が彗星のように伸びて映る収差で、これも広角撮影時に特に問題となるため、アナスチグマート設計ではこれを補正しています。
  3. 対称型設計:
    • 多くのアナスチグマートレンズは、対称型設計を採用しており、この対称性が収差の効果的な補正を助けています。対称的なレンズ要素の組み合わせにより、光学的な歪みが抑えられ、より均一な焦点性能を提供します。
  4. 広い焦点距離と用途の多様性:
    • アナスチグマートレンズは、さまざまな焦点距離で高い性能を発揮し、ポートレート、風景、建築写真、さらには科学的な観測用途に至るまで、幅広い分野で使用されました。

アナスチグマートになってから、多くの優秀なレンズが登場しました。いくつか例をあげましょう。

1. Zeiss Protar (1890年)

  • 概要: ドイツの光学メーカー、カール・ツァイス(Carl Zeiss)によって開発されたProtar(プロター)レンズは、最初期のアナスチグマートレンズの一つです。ツァイス社の設計者であるパウル・ルドルフ(Paul Rudolph)が設計したこのレンズは、非点収差、球面収差、コマ収差をすべて効果的に補正しており、非常に高い解像度を実現しました。
  • 特長: Protarレンズは、非常にシャープな描写と高いコントラストを提供し、風景写真や建築写真、科学写真において広く使われました。さらに、複数の焦点距離で利用可能だったため、写真家にとって非常に柔軟性の高い選択肢となりました。

2. Goerz Dagor (1892年)

  • 概要: Goerz(ゲルツ)が開発したDagorレンズは、アナスチグマートレンズの代表的な成功例です。このレンズは、ダブルアナスチグマット設計を採用し、風景からポートレートまで、さまざまな撮影用途で使用されました。Dagorレンズは、そのシャープさと広い視野角が特に評価されました。
  • 特長: Dagorレンズは、広角レンズとしても非常に高性能で、写真の隅々まで均一なシャープネスを提供することができました。また、そのコンパクトな設計により、携帯性が高く、屋外撮影にも適していました。

3. Cooke Triplet (1893年)

  • 概要: イギリスのT. Cooke & Sonsが開発したCooke Tripletは、3枚のレンズ要素を用いたシンプルなアナスチグマートレンズです。この設計は、非点収差を効果的に補正しながら、コストを抑えることができたため、広く普及しました。
  • 特長: Cooke Tripletは、ポートレート写真や一般的な撮影に適しており、特にアマチュア写真家にとって手頃な価格で高品質の描写を提供できる点で人気がありました。

4. Zeiss Tessar (1902年)

  • 概要: ツァイス(Zeiss)の設計者であるパウル・ルドルフ(Paul Rudolph)が1902年に開発したTessarレンズは、アナスチグマートレンズのもう一つの代表です。このレンズは、4枚のレンズ要素から構成され、球面収差や非点収差を効果的に補正しながら、コンパクトなデザインを実現しました。
  • 特長: Tessarは、そのシャープネスとコントラストの高さで非常に評価が高く、カメラレンズの中でも長い間愛用されました。「鷹の目」と呼ばれるほどのシャープな描写力を持ち、ポートレートから風景写真まで幅広い用途で使用されました。

5. Zeiss Sonnar (1931年)

  • 概要: ルートヴィヒ・ベルテレ(Ludwig Bertele)が1931年にツァイスのために開発したSonnarレンズは、ポートレートや中望遠の撮影に特化したアナスチグマートレンズの一つです。Sonnarは、少ないレンズ要素で高い光学性能を実現し、明るい開放F値を持ちながらも、収差が少なくシャープな描写が可能でした。
  • 特長: Sonnarは特にポートレート撮影に優れており、背景を美しくぼかす能力に長けています。f/2などの明るい絞り値を持ちながらも、収差を抑えたクリアな描写が可能で、クラシックな写真家たちに愛用されました。

6. Double Gauss (19世紀後半〜20世紀初頭)

  • 概要: ダブルガウス設計は、もともとカール・フリードリヒ・ガウスが提案したレンズ配置を絞りの前後に対称的におき、後に改良されたアナスチグマートレンズです。特に、Petzval設計と並ぶ代表的な光学設計として、ガウス型レンズは広く使われました。このレンズは、対称な配置により収差を抑え、高い解像度を提供します。
  • 特長: ダブルガウスレンズは、ポートレートから標準レンズとして広く使用され、特に明るい開放F値を持ちながらも、シャープな描写と美しいボケを実現しました。これにより、ライカやツァイスなどの多くのカメラメーカーがこの設計を採用し、後に多くのレンズがガウス型設計に基づいて発展しました。

現代のレンズ

現代のレンズ設計は、伝統的な光学技術に加え、コンピュータシミュレーションや新素材、特殊コーティング技術を駆使して、収差を抑えつつ高解像度でクリアな描写を実現しています。その特徴として

  1. 高度な収差補正
    現代のレンズ設計では、従来から問題となっていた球面収差色収差コマ収差非点収差などの光学的欠陥が、より高度に補正されています。これにより、レンズの中心から周辺部まで均一なシャープネスが保たれ、歪みや色のにじみを最小限に抑えた高品質な画像が得られるようになっています。
  2. 非球面レンズとEDガラス
    近年では、非球面レンズやEDガラス(特殊低分散ガラス)が広く使用されています。非球面レンズは球面収差を効果的に補正しながら、レンズを小型・軽量化するのに貢献しています。EDガラスは、色収差を大幅に抑え、特に望遠レンズやズームレンズにおいて、クリアで色にじみのない画像を提供します。
  3. 複合型レンズ設計
    現代のレンズは、複数のレンズ要素を組み合わせることで、幅広い焦点距離や開放F値を実現しています。ズームレンズでは特に、複合的な光学設計によって、広角から望遠まで柔軟に対応できるレンズが開発されています。また、固定焦点レンズでも、特殊ガラスや高精度な製造技術により、非常にシャープで明るい開放値を持つレンズが多く存在しています。
  4. ナノクリスタルコーティングとフレア・ゴーストの抑制
    レンズ表面には、ナノクリスタルコーティングやフッ素コーティングなどの特殊コーティングが施され、逆光や強い光源によるフレアやゴーストの発生が大幅に抑制されています。これにより、コントラストの高いクリアな画像が得られるだけでなく、メンテナンスのしやすさも向上しています。

カメラのパーツ

写真撮影のニーズに応えるため、さまざまな種類のレンズや機構が用意されています。

初期の写真レンズはいわゆる「バレルレンズ」で、何枚かのレンズガラスと鏡胴のみで構成されていました。被写深度を調整するため、絞りを変更できる機構がつけられ、それがWaterhouse stop(ウォーターハウス絞り)でした。特定のサイズの穴が開いた金属板をレンズに挿入して使用します。これにより、光の量を制御することができます。この方式は、絞り板式絞りやウォーターハウス絞り板とも呼ばれることがあります。のちに、より便利な絞りリングと絞り羽に取って代わりました。

ウォーターハウス絞り

写真とカメラの普及に従って、レンズも変わってきました。いくつか例をあげましょう。

  • 画角に対応するため、広角レンズから望遠レンズまで開発されました。
  • 暗いところでの撮影やより被写深度を浅くするため、より大口径のレンズが開発されました。
  • フォーカス機構をレンズに搭載し、フォーカスリングが取り付けられました。
  • レンズに内蔵するレンズシャッターが開発されました。
  • オートフォーカスのためのモーターをレンズに装着されました。

まとめ

レンズの歴史を簡単に振り返ってみました。特に光学システムとしてのレンズは奥深く、私もまだまだ勉強しているところです。オールレンズの収差を活かして、独特な描写を楽しむのは写真への理解も深まります。最近『オールドレンズの最高峰』シリーズと19世紀レンズ関連の本を読んでいます。そして気づきがありました。レンズを製造するためのガラスです。アナスチグマートを可能にしたのは設計だけでなく、欲しいガラスが作れるようになったのも大きいな要因です。どんどん光学の領域に入っていきそうで、またいつか記事にできればと思います。

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