カラー写真技法伝−前編:フィルム以前(1839〜1930)

1839年ダゲレオの銀板写真術の発明とともに、写真が誕生しました。その後の長い間、写真はモノクロが主流で、明るさのみが記録、表現されてきました。

しかし、われわれ人間の目には彩られている世界が映っています。空の青、バラの赤、髪の毛の金色、感動をもたらしてくれる色をカラー写真への追求と変わり、絶えず努力が続けられてきました。

この連載はカラー写真技法の小伝です。今日のデジタルカメラになるまで、どのようなカラー写真技法が存在し、どんなカラー写真が生み出されたのかを紹介します。

今回はフィルム時代以前、主に1930年代以前、乾板時代の技法を話します。

色再現の原理

  • 年代:1861
  • 人物:マクスウェル
  • キーワード:三原色

写真術が発明されてまもないころは、色を写真でどう記録するか、原理的にわかられていませんでした。ニュートンの時代は太陽の「白い」光を各色の光に分解できることまではわかりましたが、任意の色をどう生成するかはまだ知られていませんでした。

トマス・ヤングの研究結果を受け、1855年から、ジェームズ・クラーク・マクスウェル(マクスウェルの方程式を提出した人)が任意の色は三元色、赤、青、緑によって合成されることを提唱しました。色盲に対する研究から、「人間の目には3種類の特定波長(つまり、色)に敏感な視細胞が存在する」ことを支持する結果が得られました。さらに、三原色の加法混色の実験も行った上、三原色を波長と紐づいた厳密な定義を考案しました。

理論の土台ができたので、マクスウェルはさらなる挑戦に挑みました。1861年、イギリス王立学会を前に、マクスウェルは世界最初のカラー写真を披露します。

このリボンを撮ったのはマクスウェルの協力者トーマス・サトン、最初の一眼レフを発明した人物でもあります。三原色のフィルター越しで、3枚の湿板プレートで撮影した後、同じ三原色のフィルターを構えたプロジェクター3台から同一箇所に投影したものです。(上の写真はオリジナルプレートから現代でプリントしたもの)

この写真自体がうまく色を再現できているとは言えないです。それは湿板の感光特性上、赤や黄色のような波長の長い光には非常に鈍いからです。実際私が湿板写真用の暗室に非常に明るい赤ライトをつけており、湿板プレートは全く感光されません。それでも赤フィルター越しのプレートが取れたのは非常に不思議なことです。100年後、研究者たちがこの謎を解明しました。リボンの赤の部分が紫外線を反射したようで、しかも当時の赤フィルターはそれを遮断できなかったためだそうです。

世界最初のカラー写真はこうして誕生したのです。それ以前もカラー写真の試みはありましたが、色がすぐ消えてしまったり、原理的に色の再現ができなかったり、一般的にカラー写真とは呼べないものとなります。マクスウェルとサトンの成果が、今日に至るまでのカラー写真を可能にしました。

減法混色によるカラー写真

  • 年代:1868
  • 人物:Louis Ducos Du Hauron(ルイ・デュコ・デュ・オーロン)
  • キーワード:減法混色

マクスウェルの提唱した三原色の補色:シアン、マゼンタ、イエローを利用して、減法混色によって写真を作成する手法は早くも研究されました。

同じく3枚のフィルタ越のネガプレートを利用して、色情報を記録します。それぞれリバーサルプロセスを経て、染料を使ったポジティブ画像をプリントした後、重ねます。フィルム時代のカラー写真手法の先駆けとも言えます。

この手法を研究した人たちの中、ルイ・デュコ・デュ・オーロンというフランス人が有名です。1868年に特許を取得していました。自分の開発した特殊プレートを使用して、長時間露光が必要ではあるが、なんとか赤の記録を成功させました。

1877のこのプリントはルイの数少ないプリントの中の一つです。フランスのアジャンという町に住んでいたルイが撮影した風景写真です。

1874年ルイ・デュコ・デュ・オーロンが発明したカラー写真用カメラ
カメラとプロジェクターの2種類の用途ができる

ノーベル賞に輝いたリップマン法

  • 年代:1908
  • 人物:ガブリエル・リップマン
  • キーワード:光の干渉

三原色を利用した手法以外に、光の干渉を利用したリップマン法が考案されていました。1908年、この手法の発明者ガブリエル・リップマンはノーベル物理学賞を受賞しました。

コーティングしたプレートを使って、反射してきたの光と干渉し、定常波を発生させることで、露光します。現像、定着後、一定の角度から見ると、カラー写真が見える非常に不思議な手法です。

原理的に解像度が非常高いですが、像が不鮮明であることと高価かつ複製できないことから普及にはいたりませんでした。が、目を疑うほどきれいな写真が取れるのは間違いありません。

Lippmann Plates Still Life Series vol 1

初めて商用化したカラー写真技法:オートクローム

  • 年代:1907
  • 人物:ルミエール兄弟
  • キーワード:モザイクスクリーンプレート

商用化に成功したほとんどの技術と同じく、オートクローム(Autochrome)もカラー写真技法においては後発的と言えます。技術が進歩し、先輩方が克服できなかった難題がこの時代になって、ようやく解決されたのです。

その一つが感光材の感光性能です。長い間、乳剤とハロゲン化銀によって作られた感光層は赤や黄色などの長い波長の光には反応できませんでした。コロジオンからゼラチンに変わって、乾板の時代に入ると、乳剤に新しい添加物を入れることで、乾板はパンクロマチック(全可視光線に感光力を持つ)に進化しました。

もう一つの問題は撮影の手間です。三原色を3枚のプレートで記録する分光方式のカメラは存在したが、3枚の合成による再現は容易ではなかったし、カメラの構造も複雑になってしまいます。

そこで、Joly Processと呼ばれた方式が考案され、1枚のプレートに三原色の細い線をプレート上に刻み、擬似的に色を形成させます。下の写真がこの手法を使ったプリントです。縦線が視覚的にうるさく、数年でマーケットから消えてしまいました。

「joly color screen」の画像検索結果

いよいよオートクロームの登場です。Joly Processの縦線を小さい粒子に変更したのです。その効果は絶大で、きれいな写真が得られました。

「Autochrome」の画像検索結果
Christina In Red
1913, Mervyn O’Gorman

三原色に染色したデンプンの細粒を適当な割合に混合してガラス板上に撒布し、ニス加工をした上にパンクロ乳剤を塗布して製作する。撮影はガラス面を被写体に向けて行なう。現像は反転現像で行う。

Wiki: オートクローム

このデンプンの細粒はポテトから作られていたそうで、粒の大きさは5〜10 µmです。三原色に加え、ランプブラックを使って、デンプンの間を補填します。

オートクロームのデンプン粒子

上の図で分かる通り、入射してくる光は染色されたデンプン層を通過してから、乳剤層、つまりハロゲン化銀に感光させる必要があります。よって、モノクロの場合と比べて感度が10倍ほど低下すると言われています。短くて1s、曇りの外だと10sほど露光時間を要します。

オートクロームのこの3層の組み合わせが、まるで今時のベイヤー式センサーのようです。現像もリバーサル現像のため、ポジの画像が得られます。光を通過させると、デンプン上の染色された粒が色フィルターとして機能し、局所的に三原色の組み合わせによって、色を再現できます。

理論上、デンプンの配置はランダムであるが、実際はそうも行かないです。部分的に単一色の塊ができてしまうと、ぼやけた眠い画像になります。それがオートクロームの独特の美しさでもあり、よく印象派の絵に似ていると言われています。

さて、オートクロームを開発したルミエール兄弟ですが、映画(活動写真)の発明者として非常に有名です。ただ、「映画に未来はない」と言って、並行的にカラー写真術の開発に取り組んでいたらしいです。1903年にオートクロームの特許を取得し、1907年に正式にカラー乾板として発売を開始しました。以降、1930年代、カラーフィルムの登場まで、主流のカラー写真用感光材として使われていました。ただ、高価であることと生産量が少ないことで、カラー写真の普及には至らなかった。

プロジェクターを使って展示しないといけないという欠点と、モノクロ写真で使われる暗室技法が通用しないことから、アーティスト(特に一見相性良さそうなピクトリアリスト)には人気が薄かったです。一方、熱狂的なファンもいて、特筆するのはアルベール・カーンというフランスのバンカーです。

1901〜1931年の間、彼は50か国を旅回って、延べ72,000枚にのぼるオートクロームプレートを撮影しました。とんだお金持ちマニアです。当然、カーン一人では無理なので、十数人のチームを結成して、撮影に取り組んでいました。

1931年にカーンは破産しました。趣味に散財しすぎたわけではなく、世界恐慌を食らったからだそうです。今、彼の作品のほとんどがフランスのアルベール・カーン博物館に保管されています。

Gizeh, Egypt, 1914, the Great pyramid and the Sphinx
Mongolia, 1913, Buddhist lama

まとめ

フィルム以前のカラー写真はどうしても実験的な意味合い、もしくはお金持ちの趣味道具としての志向が強いです。ただ、この模索の時期あったからこそ、本格的に普及できるカラー写真術が世に送り出すことができます。技術の黎明期はいつもそうで、可能性に満ち溢れ、面白いアイデアが星の数ほど存在します。

悲しいことに、オートクロームは再現不能と言われています。あの夢のような絵作りが復活できる日を待ち望んでいます。

次回からは、いよいよカラーフィルムが主人公となる時代に入ります。

最後ですが、BBCが1974年に制作したドキュメントリーをご覧ください。マクスウェルのリボン写真の再生が行われています。

BBC Pioneers Of Photography (1974) Early colour

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